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   <title>憧れの電動スクーター</title>
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   <subtitle>バイクはバイクでも電動だ！</subtitle>
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   <title>エンジンの製作</title>
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   <published>2012-05-16T04:07:28Z</published>
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      <![CDATA[エンジンの製作は一応できる設備だったが、全部旧式の機械で、工場建築も戦前のガタピシのもの。


床面も土間そのままのようなものでほこりっぽい、旧式工場のまま放置していました。


自製はエンジン主部のみ、ギヤ類や車体は全部外注だった。


このことは単なる成り行きではなくて、氏の経営方針でもあったようで、氏は下請けの育成に相当の資金を投じたことも聞いています。


なお、氏はそのころから再々外遊、ドイツのアウトウニオン(AutoUnion)の方式に心酔。


日本にもその方法を導入することを夢みた。


名称もトーマスアウトウニオンとするのだと心に思い定めており、漏らしたものです。


こういった歴史も<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>を知るのに必要なのです。
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   <title>最盛時</title>
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   <published>2012-04-15T04:01:48Z</published>
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      <![CDATA[<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>が開発されるずっと昔のこと・・・最盛時は昭和29年ごろで、資本金1億、従業員は800人、専務は加古氏で、東京出張所長は大前氏でした。


製品は、最初350cc以上の大形が主、しかし後にはみつほ号という名で250ccおよび125cc形も出し、全国に販売調を張り、量産による廉価をめざし、生産設備を着々と拡充した。


それは一時、上位会社にも相当の脅威を感じさせたのだが、計画遂行の中途で資金に詰まり、不渡りを出し倒産に至った。


当事者たちはその原因をもっぱら、資金繰りのまずさによると述懐しています。


恐らくこれはあたっているだろう。


もしその方途を誤たなかったら、こう早く倒産の浮き目を見ず、同列の会社たるオートバイ並みにはいくところだったろうと想像されました。

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   <title>商品の特長</title>
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   <published>2012-03-15T01:57:47Z</published>
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      <![CDATA[なにぶんにもオートバイの荷物運転専用時代は去り、一にも二にもスピードや高加速で、追及目標の変換があり、この特長の影が薄くなり、昌和では数年でこの方式を捨て、常例の3、2サイクルに代えてしまったのです。


これで、最高出力の点でいくらか得をしたようだが、商品の特長はなにもなくなってしまい、商売上、けっして有利ではなかったようです。


50ccのモペット・エコーは前者以上に異色のあるものでした。


エンジンそのものは普通の3孔形だが、スターターは足動でなくて、モーターボートエンジンなどに常例である自動まき戻しロープ。


スターターであり、左手で操作、駆動はVベルトによる自動変速であり、手動切り替えは不要でした。


そして現代では、<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>がありますよね。エコを考えた二輪車です。


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   <title>非常な特長</title>
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   <published>2012-02-09T02:56:57Z</published>
   <updated>2012-02-10T00:01:04Z</updated>
   
   <summary>当時、数万台中2～3の破損事故があったが、弁座の傷とごみのはさまりとが原因だった...</summary>
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      <![CDATA[当時、数万台中2～3の破損事故があったが、弁座の傷とごみのはさまりとが原因だった。


オートバイの運転上の特長はスローの性質がよいことで、トップギヤで15km/h程度の低速維持が容易だった。


これに乗り、名古屋東京間の走行(その間には箱根山越えがはさまる)をしたことがあり、ためしにギヤチェンジなしで、トップギヤに入れ放しで走り通し、なんら支障がなかった経験があります。


これは非常な特長であり、現実に老成した遵法運転者からは賞賛された。


このような歴史があって、<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>は生まれたのですよね。

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   <title>唯一のもの</title>
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   <published>2012-01-06T02:56:29Z</published>
   <updated>2012-01-11T02:52:33Z</updated>
   
   <summary>125cc形の商品はライト・クルーザーでこのエンジンには吸入孔が独特で薄板弁(リ...</summary>
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      <![CDATA[125cc形の商品はライト・クルーザーでこのエンジンには吸入孔が独特で薄板弁(リーフ弁、またはリード弁)付き。


当時、この方式はモーターボート用2サイクルでは標準的だが、エンジンでは世界に前例皆無。


これが唯一のものです。


実はこの設計には、参画を求められ、リーフ弁は知人が主として担当した。


これの材質はベリリウム銅。


耐久性については念入りに検討したので苦情はっかなかったそうです。


現代のバイク、<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>も試行錯誤して出来たものだと思いますので、色々と実験を繰り返したことでしょう。


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   <title>批判</title>
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   <published>2011-12-20T02:55:55Z</published>
   <updated>2012-01-11T02:52:33Z</updated>
   
   <summary>・・・・批判を聞いて、せめてOHV形くらいに転向、出力向上を策すべきだったと思い...</summary>
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      <![CDATA[・・・・批判を聞いて、せめてOHV形くらいに転向、出力向上を策すべきだったと思います。


なお数年SVを惰性で続け、せっばつまってドイツのツインダップまがいの2サイクル単筒250cc形に切り替え、それに望みを託したが、時は既にヤマハやスズキのバイクが時流に乗った際であり、とうていそれに伍し得なかった。


これでも高速は、120km/h程度には達し、SV方式よりは数等よいのだが、浅間レースあたりでもとうていヤマハあたりと互角にはいかず、外形にも魅力は乏しかった。


ところで、昌和ではこれより前、125cc形も、50ccのモペットも出していた。


いずれも2サイクルだが、双方とも漫然と作ったものではなく、相当の特色が盛られていた。


こういった歴史があった上で、<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>が誕生したのです。
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   <title>没落の原因</title>
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   <published>2011-12-13T02:55:25Z</published>
   <updated>2012-01-11T02:52:33Z</updated>
   
   <summary>当時は、SV方式がまだ通用していたのだから、昌和のは出力の点でずばぬけていたこと...</summary>
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      <![CDATA[当時は、SV方式がまだ通用していたのだから、昌和のは出力の点でずばぬけていたことは明白です。


ところが、当時日本製のカム駆動用チェーンは耐久性に乏しく、とうていこれを商品化する自信がなく、SV方式に逆戻りしたものを量産した。


これがクルーザー250ccであり、出力の点は10PSを標傍しながら、実馬力は若干それを下回ったが、車体に完壁な緩衝方式を採用したので、乗りごこちは上々で、好評を博した。


期待以上にこの売行きが伸びたため、社長始め若手技術者たちは、安易な気分に陥り、これが何年かあとの没落の原因につながると反省されています。


この形の試乗会に参加、緩衝は確かによいが、オートバイのエンジンは非力である感はいなめなかったそうです。


現代にある、<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>に置き換えると考えられない事ではありますが、これも歴史ですね。

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   <title>こんにちは</title>
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   <published>2011-12-03T02:55:01Z</published>
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   <summary>こんにちは。はじめまして。 今日から電動スクーター関連のブログを始めました。宜し...</summary>
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      <![CDATA[こんにちは。はじめまして。


今日から<a href="http://manan.jp/" target="_blank">電動スクーター</a>関連のブログを始めました。宜しくお願いします。


専務小島謙治氏は、和三郎氏の女婿、資材部長の和男氏は甥(?)、技術部長の中村昌保氏も遠縁に当たる。


社長を始め、いずれも若手気鋭、昭和27、28年ごろの草レースの全盛期には、いつも昌和が上位を占め、この面においてまず全国に名を売った(名古屋、富士登山レースなどで第一位)。


こういう面の指導的役割をしたのは、中島という老練家で、その下に綱、大川らの実技家がいた。


最初の競走用のエンジンはOHC形で、当時としては最先端的のもの。
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